さよなら、ぼこう

さよなら、新城東高校演激部

在学中、別役作品とは別に1本だけ既成作品を演じました。

石原哲也さんの『俺たちの甲子園』。作中、高校生が麻雀をしているシーンがあって僕らも割と手慣れた手つきで演じる事ができたのですが、顧問に物凄く疑われた(疑われるもなにもこっそり打ってたしね。もちろん健康麻雀です。吸わない、飲まない、賭けない)のだけど、「あー遊びも全部、舞台に繋がってる」と実感できた事は、今の劇団での稽古場でも活きていると思います。

待望の女子部員も多数入り、創作に拘りつつも先出の既成作品を上演した事でホンの書き方もなんとなく解り、顧問に1行1行ダメ出しを喰らいつつ書き上げた『ハイッキムチ!?』という作品で、県大会、中部大会と出場し、在学中全国には行けませんでしたが充実した高校生活を送ることができました。

その後、母校の演劇部は畑澤聖悟さん作『親の顔が見たい』で念願の全国大会出場を果たします。僕はもうほとんど関わっていないので完全に当時の現役生の頑張りと顧問の先生の力なんですが、その部活の出発点にいられた事は僕の誇りでもあります。

そんな母校、新城東高校がなくなります。「新城東高校演激部(僕らは演劇部じゃなく演激部と自称していた)は永久に不滅です!」とは言えません。母校がなくなるという事は、そこで僕らの演劇部も一緒になくなるという事。いや、演劇部は高校生のものです。僕らの演劇部は、僕らが卒業した時、もう僕らのものではなくなっていたのです。

僕は今も演劇を続けています。他に書く人がいなかったから書いていた僕が、劇作家という職業になり、結婚し、子どももいます。ここ最近収入が減って嫁に叱られました。それでも演劇を続けていくと思います。

19年の演劇人生の中で、出会いと別れをたくさん経験したはずなのに、母校との別れというのは、割とデカくて、今年35になるおじさんの心に、グッとくるものがあります。

だって、この人生の出発点だから。

ふるさとだから。

僕は今、新城東高校演劇部のOB会長しています(そろそろ誰かに変わりたい)。新城東時代に入部した子までは入会し、それ以降は人が増える事はありません。なんなら減っていきます。この先。

100名以上の部員たちが紡いだ演劇部。それももう、さよならです。

さよなら、新城東高校演激部。

お疲れ様でした。