悲しい。

親父が犬を貰ってきた。
土曜に実家に戻った時には元気に愛想を振りまいていた。

その仔犬が今日死んだ。

元々体の弱い子で、それを承知で親父が貰ってきたそうだ。
お袋は反対した。今年ずっと飼ってた犬が死んだばかりだ。「生き物は死ぬから嫌だ」と言っていた。でもその子にフクという名をつけたのは、どうやら母のようだ。

親父の気持ちもわかる。
体は弱いが、少しでも大きくなれば元気に育つのではないかという期待があっただろう。

お袋の気持ちもわかる。
少しの期間でも関わってしまえば情が湧くし、別れがつらくなる。

おう吐して血便が出て入院させたと聞いていた。医者も難しいと言っていたそうだ。その連絡は確か弟から来た。

今日の15時に死んだという連絡は母から来た。

僕は「残念だね。仕方ないね。」

と送った。

人間のエゴで、とか、そういうクソみたいな動物愛護の観念を振りかざされたら「あー、そうですか」としか言えないのだが、単純に、ただ単純に悲しい。その悲しさに倫理だの常識だの理由だの理屈だの、余計な物を紐付けて語ることはできない。

悲しいものは悲しい。

命があるものは死んでしまうのだ。

遅かれ早かれ。

感情と言うのは常にこっち側に残されるものなのだ。

お袋はもう動物は飼いたくないだろう。ひょっとしたら親父もそうかも。

でも、僕はまた犬を飼ってほしい。無責任だけど、無責任にそう思っている。

家族がいて、その輪の中にペットがいる。

そんなステレオタイプな家族像・幸福像が、いつかまた必要になるような気がする。

母は犬の名前は「フク」に決まったと教えてくれた。

フクは自分がフクである事を知らないまま死んでしまった。フク自身がウチに来て幸せだったのかどうか、とか、きっと幸せでしたよ、などという仕様もない議論は、ちょっと今はできない。

ただ、恐らく家族で一番落ち込んでいるであろう親父が心配だ。

また飼ったらいい、みたいなことは言いたくない。

今はどういう言葉をかけたらいいのかわかんないし、僕もその言葉をかけられるほど落ち着いちゃいない。

ただ悲しい。残念だ。

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