『厭劇入門』終演!

やっとかめでございます。天野です。

5/3~5までスタジオナンジャーレで劇団「放電家族」第拾回放演『厭劇入門』という公演を打っておりました。

ご来場頂きました皆様、また、ご協力賜りました皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。

はてさて。

雑然と書きます。

神話と演劇

古事記を下敷きにってのは当初から考えていて、なんでかってそりゃ登場する神様のキャラクターが非常に際立っていたからです。

スサノオは演出家、アマテラスは照明家、ツクヨミは音響家(ツクヨミってライブハウスがあったんです、以前)って布陣で、アメノウズメという女優をどう配置していくかってとこまでの構想は去年の『森海魚』の段階から練っていました。

アメノウズメがその後サルメと名前を変え、その子孫がヒエダノアレとなるわけだけど、そこまでの「繋がり」を物語の中でどう表現するか、結局ウズメとアレを同一人物として、サルメはウズメたちと対になるような配置に置くことにしました。

終盤、結城ゼミナール演じるウズメが脱ぐだの言いながら踊る場面で客席から笑いが起こって良かった。あれで天岩戸が再現出来るわけで。笑えなかったとしてもシーンは成立するんで全然良いんですけどね。

宣伝について考えている

結局宣伝しないじゃん!と怒られましたが、恐らく演劇をやってる人・よく観にいかれる人が立ち寄らなさそうなところでは宣伝はしています。ウチが置きチラシにしたのも、直接演劇と関わりのない方に対して、ご自身の手で欲しい物を手にとって頂けるようにしないといけない、と思っていたからです。

放電家族の客席は、一般の方といわゆる関係者の方の割合は6:4ぐらい。この関係者の中には他ジャンルで表現活動をされている方も含まれているので、そもそも宣伝するフィールドがよそとはズレてくるのです。

しかし、まあ少し色々考えないと、とは思っています。費用対効果を考えて効率を良くしていかないと。

今後もチラシは作らないと思います。DMサイズのものは手軽なので作りますけど。

スマホ・タブレット端末、その辺りがポイントだな、とは思っています。

演劇はキライじゃないけど

ムカつくんです。やってても。自分自身に。

お客さまの時間を拘束して、料金を頂いて、俺が書いた作り話を見せるんです。居たたまれなくなります。逃げたいし。

でも、本を書いている時に強く思っているのが、作り話だけど「嘘」ではいけないと言うこと。

事実ではないけれど、真実でなければいけないんです。

如何に耳に痛い台詞を吐けるか。それが今回のテーマでした。だって俺ならしんどいもん。言われたら厭なことばっか書きました。

あと、役者は噛んでいい。LIVEなんだから。小屋のサイズなんか考えなくていい。嘘になるから。

稽古場でシーンつくってる時に、役者が状況とか、見栄えとか、本当になーんも考えず適当な動きをしてそのシーンを邪魔すると、ワクワクする。その時の他の役者の反応が面白い。だからよっぽど邪魔な時以外は注意しないんだけど、同じシーンを返した時に「さっきはここでこう動いたから」と同じ動きをすると、トタンにつまんなくなる。何も考えずにテキトーに動いたんなら、次もテキトーにやんなきゃ。予定調和とか段取りになるとダメだ。

役者の台詞の言い方が気になる時は「所作」に関する指示を出します。役者の動きや立ち居が気になる時は「台詞回し」に関する指示を出します。あんまし感情に対してはどうこう言わないし、役者にも気持ち作ってきてほしくない。その感情って邪魔だもん。作られた感情なんか見たくない。見れたもんじゃない。嘘でしかない。感情は湧くのだ。「愛してる」って台詞の向こうにはどんな感情でも入る余地があるでしょう。そこを自分で狭めたくないし、作られた感情なんか響かない。

と、偉そうに語るものの、ちゃんと実践していかないとね。精進します。

今後の展望

やはり放電家族の活動を継続していく上でもう2、3手打つ必要があるなぁと思う箇所がはっきりと見えてきた。

あと、面白いと思うことをやろうと思う。これからも。

今後とも劇団「放電家族」をよろしくお願いいたします!

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